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アメリカのマザーロードとも呼ばれ、1926年U.Sハイウエイとして誕生し、1985年に至るまでの長い間アメリカの多くの人々に愛されてきた。学生の頃だろうか?
66年生まれの俺は、この道に何か運命のようなものを感じ始めていた。
いつも何処かで気になっていたその道は、やがて俺の中でいつか行ってみたい・・・そんな憧れの道へと、そう夢の道へと変わっていた。
出発の朝、少しばかり雨が降るシカゴの空の下、俺は"Lou Mitchells"<ル・ミチェルと>いう名のレストランに立ち寄った。ここはRoute 66を旅する人が必ずスタート前に訪れる場所だと言われている。今朝も地元の人や観光客で店内は賑わっている。俺は一杯の熱いコーヒーを飲みながら これから始まる長い旅のことを考えていた。この道は40年代の太平洋戦争が終わり、人々が夢を追った50年代、60年代の面影を今も色濃く残している。当時の人々はどんな想いで この道に夢を見たのだろうか?この旅でその答えを少しでも感じる為に、俺は当時を象徴する車、'68年式"CADILLAC"<キャディラック>でアメリカンドリーム、夢の足跡を追いかけることにした。
Route 66からフリーウエイ55号を南下し、次の街を目指して車を走らせる。空を一面に覆っていた厚い雲も風に流されたのか、時折り太陽が雲のすき間から顔を覗かせている。フロントガラスの向こうに広がる景色も地平線だけに変わっていく。俺は今日まで歌を通して、たくさんの夢を語ってきた。ガキの頃の夢、これからの夢、夢への挫折、そして希望の夢、明日の夢。しかし、夢とは一体なんだろう?夢とは目に見えない幻なのか?また、人は何故 Route 66 に夢を乗せて走ったのだろう?その答えはこの先に見つかるのだろうか?俺はそんな事を考えながら、ひたすらアクセルを踏んだ
突如キャディの水温計が上がり、エンジンが悲鳴を上げた。オーバーヒートだ。ボンネットから白煙を吹き始めたキャディを止むを得ず路肩に止める。とても危険な状態だ。ボンネットを開けると予想通りラジエターの水が吹き出ている。急処クーラーボックスにあったミネラルウォーターでラジエターを冷やす。オーバーヒートの原因は確定できないが、クールダウンを待ってエンジンキーを廻す。しかし、全くエンジンは目を覚まさない。陽は完全に沈み、フリーウェイは暗闇に包まれる。相棒よ目を覚ましてくれ!キャディを見守りながら俺は心の中で何度も祈り続けた。暗闇のフリーウェイでは危険な作業となるが、スタッフクルーの車のバッテリーからキャディに電気を送ってみたがセルモーターはピクリとも動かない。
朝一番に悪いニュースが飛び込んできた。相棒キャディは予想以上に重傷で全く動かない状態だった。大勢のメカニックを集め、修理にとりかかったとしても復帰の見通しはかなり低い。昨夜のアクシデントが脳裏をかすめる。だが、ここで旅を諦めるわけにはいかない。キャディを置いて行くしか方法はない。俺はつらい決断をし、新たなる手段として再びセント・ルイスへ戻った。
"St.Louis Car Museum"<セント・ルイス・カー・ミュージアム>クラシックカー博物館に50年代、60年代のビンテージ・カーが幾つかあるという情報が入ったのだ。共にゴールできなかったキャディの意志を受け継ぐ車を探すしかない。俺は重い気持ちを奮い起こした。
立派なカー・ミュージアムには驚くほどの名車が所狭しと並んでいた。俺は悩んだあげく、'63年式"CHEVY"<シェビー>を選んだ。店のオーナーでもあるジョンにRoute 66の旅を告げると「そういうことなら俺にも応援させろ。」と彼は安く車を譲ってくれた。 '63年式"CHEVROLET Impala"<シボレー・インパラ> 俺が生まれた年よりも古い車だ。この新しい相棒に夢のゴールへの完走を想い描きながら、俺はマジックで落書きしたプレートを取り付けた。 "CARIFORNIA or Bust on Route 66" Route 66を突っ走り、夢のカリフォルニアに辿り着くことができるか?それとも途中で挫折するのか?それは俺とお前次第だ・・・。相棒シェビーと会話を交わすようにこれまでの旅のこと、もと相棒のキャディのこと、そして今日から始まる旅の決意を心の中で言い聞かせていた。さぁ旅の再開だ。まだゴールは遠い。