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- STYLE - YASUHIRO YAMANE / Y2-DIARY

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Posted on 2025/08/30/
皆さん、お疲れさまです。

今日は、皆さん
お馴染みの「テレビ」についての話
と行きましょう。

世界で初めてテレビの公共放送が始まったのは
1936年、イギリスのBBC放送。

しかし、
世界で初めてテレビの開発に成功したのは
なんと!日本人なんです。
世界初の電子式テレビの開発は
のちに「テレビジョンの父」と呼ばれる
「高柳健次郎博士」

1926年、
当時浜松高等工業学校の助教授だった高柳博士は、
ラジオ放送ですら、まだ始まって間もない頃…
ラジオ放送の改善ではなく、
遠くに映像を送る手段を考えていたんですね。

ところが、
順調に進んでいたテレビの開発も
1937年、日中戦争が勃発したため
テレビの開発も中断を余儀なくされます。

さらに、
第二次世界大戦の勃発と深刻化によって
テレビの開発の全てが中止となってしまいます。

そして、
敗戦後となる1950年、
ようやく本格的な研究が再開します。
放送設備の整備が進み、
1953年、NHK東京テレビジョンが開局。
日本でもテレビの本放送が始まります。

しかし、
放送開始当時は、白黒映像で、
1950年代のテレビ1台の価格は、約17万円。
当時月給の平均が1万3000円だったため
ほとんどの家庭で買えない超高級品だったわけです。

その後、
1960年には、
NHKと民放4局がカラーテレビ放送を開始。
…とはいえ、
暫くは、カラー放送時間も短く、
白黒テレビが主流となります。

1965年、
カラーテレビ放送が普及し、
カラーテレビは、
「クーラー、自動車」とともに
「新三種の神器」と呼ばれ、
日本人の憧れのアイテムとなります。

こうしてテレビは、さらに進化を続け…
ブラウン管から液晶パネルへと移り変わります。

ただ、
テレビ開発の最前線を走っていたのは
誇るべき日本。

ちなみに、
テレビの原型を作り上げた
高柳博士の実験では
石英版に書かれた文字を
特殊な撮影装置で読み取り、
電子式ブラウン管に送って
映像を映し出したのですが…
初めて映し出されたものは、
人の姿などではなく、カタカナの「イ」

当時は、複雑なものではなく、
分かりやすい映像例として
「イ」の文字が選ばれたそうです。

つまり、
世界で初めてテレビに映ったものは、
意外にも
「イ」という1文字のカタカナだったわけです。

そして、これから…
テレビは、どう進化していくんでしょうね。
はい~…。

では、
ひとまず!
今日が、皆さんにとって
素敵な1日になりますように…。    YASUHIRO