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- STYLE - YASUHIRO YAMANE / Y2-DIARY

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Posted on 2025/10/02/
皆さん、お疲れさまです。

今日は、
定番人気スポーツ競技のひとつ。
「ボウリング」について…
ちょっと意外な話。

実は、
ボウリングの発祥地は長崎で、
なんと!
江戸時代の末期にあたる1861年、
長崎の出島に開設されていたんです。

しかも、
日本初のボウリング場は、
「インターナショナル・ボウリング・サロン」
という横文字で…
長崎の出島、
オランダ人居留地に誕生しました。

また、
これを皮切りに
1864年に横浜、
1869年に神戸にも
日本に駐在する外国人専用の
ボウリング場が開設となります。

ちなみに、
当時使用していたボールは木製で、
指を入れるための穴がなく、
両手で投げていたと言われています。

そのほか、
出島のオランダ人居留地
「インターナショナル・ボウリング・サロン」
でのルールは、
10本のピンを倒す…
現在の「テンピンボウリング」ではなく
9本のピンを菱形におく「ナインピンズ」
だったようです。

そもそも、
ボウリングの歴史は古く、
昔のヨーロッパでは、
災や魔を払うものとされていました。

また、
中世期のドイツやオランダでは、
ボウリングのピンの形が円錐であることから
ドイツ語で円錐を意味する「ゲーゲル」
と呼ばれ、
ピンを多く倒すと罪を清められると
信じられていました。

そんな宗教的な「ゲーゲル」は、
国や地域によって
ルールやピンの配列、数もまちまち
だったわけですが…
16世紀、
ドイツの宗教家「マルティン・ルター」
によって、
9本のピンを菱形におく「ナインピンズ」
に統一され、
ヨーロッパを中心に娯楽スポーツとして
親しまれるようになります。

やがて、
ボウリングは、17世紀にアメリカへ。
19世紀には、10本のピンを倒す
「テンピンボウル」として
生まれ変わり、
現在のボウリング・ルールとなったんですね。

それにしても、
日本の江戸時代に、
ボウリング場があったのには、驚きです。
はい~…。

では、
ひとまず!
今日が、皆さんにとって
素敵な1日になりますように…。    YASUHIRO